N.T.E.ジャパン・クラブ事務局長が、英国の、日本の、
そして世界のナショナルトラスト活動など、ニュースをお届けします。
2007年7月2日(月)
100年前、英国政府はザ・ナショナル・トラストが今日の姿になるうえで大変重要なサポートを行いました。 それが、1907年に英国議会が制定した「ザ・ナショナル・トラスト法」です。この法律は、ザ・ナショナル・トラストの設立に大きな役割を果たした3人の市民のうちの1人、弁護士のロバート・ハンター氏の千里眼とも思える先見の明が生み出したものでした。
いまの英国ザ・ナショナル・トラストを今の姿へと育てる礎のひとつとなったこの「ザ・ナショナル・トラスト法」の精神は非常にシンプルなものでした。「皆のために美しい土地を団体が所有出来るようにする」と言うものです。しかし、このアイデア誕生の背景には、もう1人のザ・ナショナル・トラストの立役者、ビクトリア時代の社会改善に取り組んでいたオクタビア・ヒル女史の存在が欠かせません。当時、ある裕福なファミリーから、相続税の支払いで存続が危うくなった館の庭園を何とか保存し、一般に開放したいという相談を受けていたのでした。そこで、彼女は郵政省の弁護士だった前述のロバート・ハンターに相談を持ちかけました。というのも、彼はボランティアで、都市部のコモンズと一般に呼ばれている緑地を守る活動をしていたからでした。 しかし、1884年の7月21日という日が、その庭園の最期を宣言する日となりました。 それは、ハンター弁護士は、議会が制定した関連の法律をつぶさに検討し、どの法律もこの庭園を守ることには使えないことが分ったからでした。
しかし、ハンター弁護はこれからのことを考え、何か手立てはないものかと知恵を絞ったのです。
結局、彼は英国の会社法に目をつけ、「保護することを目的に、一般の人々の利益のために緑地を所有する会社」の設立を提案したのでした。そして、2人はその団体の名前の相談を次のようにしたという記録が残されています。
オクタビア・ヒル女史:「コモンズと庭園トラストはどうでしょう?」
ロバート・ハンター弁護師:「ザ・ナショナル・トラストは?」
その後10年、英国ザ・ナショナル・トラストが1895年正式に発足。そして活動がスタート。 ちょうど今から100年前の1907年、さらにこのザ・ナショナル・トラストにとって最も強力な機能を与える、ハンター弁護士のペンになる一つの法律が議会を通過したのでした。これが「1907年8月21日のザ・ナショナル・トラスト法」です。この法律では、ザ・ナショナル・トラストが取得した土地や建物などで重要なものを「譲渡不能(inalienable)」と宣言できるとするものです。これによって、英国ザ・ナショナル・トラストのプロパティ(保護資産)で「譲渡不能」となったものは、所有権の移転ができず、議会の特別承認がなければ国家であろうが、地方行政であろうが接収することさえできなくなったのでした。この法律のお陰で、ザ・ナショナル・トラストの保護の力は絶大なものとなり、人々は将来にわたりそのままの状態デで残され、しかも一般公開されると言うことが保障され、ザ・ナショナル・トラストへの信頼の基盤が確固たるものとなったのでした。 ロバート・ハンター弁護士には、将来、飛行場や高速道路などが美しい田園地帯や海岸線、ヒースの丘陵地帯にある歴史的大邸宅を破壊してゆく姿まで見通していたのでしょうか。
何度訪れても「美しい国」だなあと感じる英国には、それを「皆のために守る」ザ・ナショナル・トラストがあり、それを大きく育てる力を英国政府が100年も前に与えていたことに、改めて感心するのは、決して私だけではないと思います。
-以上ザ・ナショナル・トラストの広報誌2007年夏号などから。