井形慶子さんスペシャルエッセイ >> バックナンバー
売られていく教会の未来
2009年2月2日(月)
ガイドブックにも載っていないような、イギリスの遠隔地を車でウロウロするのが好きでたまらない。なぜそのようなことに惹かれるのか考えてみると、遠隔地にはビレッジが、そしてビレッジの中心には必ず教会があるからだと気付いた。ハイランド地方の西方ウェスタンアイルズにさえ、朽ちた教会がほうぼうに残っている。周辺には墓地(grave)があり、ぐるりと見渡すと、まるで昔の映画を観ているように古(ルビ:いにしえ)の生活が想像できる。
イギリス人は田舎を愛する人が多く、リタイアしたらカントリーハウスやコテージを買うのだと語りながら目を輝かすが、彼らが愛するのは教会がかもし出す歴史性や神秘も含めた景観なのだ。
ところがこの10年、リタイア後でなく、都会で働きながら田舎に家を買う富裕層やワーキングカップルが増えた。かといって、週末は家でゆったりと過ごすわけでもなく、ショッピングや演劇を楽しむために車を飛ばし、都会へ出かけていく。
こうした人々の増加で、せっかく田舎で育まれてきたコミュニティーが崩れてしまっている。過去に英国人の生活の支柱であったはずの近隣者との和は、半都会生活をしている人々にとっては必要ない代物。コミュニティーの崩壊とともに、その中心であった教会も朽ちていく運命であるならあまりにも悲しい。
こうしたイギリス人の生活の変化や、信仰心の薄れのため、日曜の教会に人が集まらなくなったと聞く。
教会の衰退とともに、牧師たちも窮地に追い込まれている。10ヶ所以上の村々の教会を1人で兼任している牧師もいるほどだ。
人々は礼拝に来ず、献金は集まらず、聖堂の扉は閉ざされる。その大きさから普通の住居より修繕費、維持費がかかる教会は、雨漏り1つ、割れた窓ガラス1枚を直すのも大変な資金がいる。牧師不足・信者不足から礼拝を開くのを月1回にする教会も珍しくない。
現在、教会に訪れるのは地元の住人ではない。礼拝に来る彼らは、高級な犬を抱いて高級車に乗り、観光パンフレットに載っているような寺院(Abbey)や大聖堂(Cathedral)に行きたがる人たちだ。彼らが重要視するのは、建物の美しさ、聖歌隊の質、パイプオルガンの荘厳な音色で、礼拝に行くというより美しい場所と音楽を楽しみたいのだろう。
では教会の今後はどうなっていくのだろう。
コッツウェルズ村のある教会には売り看板が下げられ、チェルトナム中心部の教会はイタリアン・レストランに改築された。そしてなんと、インバネスシャーの教会は、聖堂の中をいくつかに仕切ってコンバーションフラットとして売り出していた。最初に見た時はびっくりしたが、今では「ユニークなアパートメント」と、あちこちの教会が住居として売買されている。
しかし、憂える出来事ばかりではない。このように売却する前に、教会をどう運営するか考えるべきだと、気付かせてくれたコンテストがある。イギリスの遠隔地で細々と運営している教会を存続させるためのアイデアを全英の教会から募集し、1位には約230万円の賞金をだすというもの。とてもイギリス人的な考えで、ナショナルトラストの思想ともつながるものがある。
ところで、英国でよく耳にする言葉が「日本の宗教はお金がかかる」なのだが、イギリスで教会で行う冠婚葬祭はビックリするほど安い。
ロンドンはリッチモンドの教会で結婚式をあげた、イギリス人と日本人のカップルの話。日本人である花嫁が相場を尋ねたところ「パイプオルガン奏者に渡すチップだけでいいです。まぁ、5ポンドくらいですね」という答えが牧師から返ってきたという。
日本円にして約800円。新婦はあまりの安さにビックリしたものの、お金のないカップルはとても喜んだ。午後に式を挙げた彼らは、午前中の挙式で使った会堂内の花をそのまま拝借し、たった5ポンドで、一生の思い出となる素晴らしい結婚式をあげることができたそうだ。
たとえ礼拝が行われなくとも、イギリスの教会は長い年月、住民を守ってきた。人々の笑顔を共有してきた教会は、イギリス人にとってシンボリックな存在なのだ。
このような背景を頭の片隅に入れて、イギリスを訪れた際には、ぜひ、カントリーサイドの教会にも立ち寄ってほしい。
