井形慶子さんスペシャルエッセイ >> バックナンバー
村の教会 村の暮らし
2008年6月1日(日)
イギリスのカントリーサイドを愛する人は多い。イギリス人はもちろんのこと、年間約6千6百万人という世界中の観光客でさえ、徒歩で、車で、あるいは運河づたいにナロウボートでと、豊潤な田園地帯を目指す。
ところで、私が初めてイギリスの田園風景を見たのは25歳の時だった。ロンドン・パディントン駅から南西部バースに向かう電車に乗った私は、ロンドンからほどなくして車窓の向こうに広がる青々とした丘陵と羊の群れに釘付けになった。
イギリスに関する知識が乏しいまま渡英したということもあるが、このような理想的な風景が世の中にあるのだという事実に、居ても立ってもいられなくなった。
鮮やかなグリーンのカーペットが敷きつめられたような平らな大地。そこに白い羊が点描となり、防風林が黒い馬の艶やかさと共に見事なコントラストを成している。焦げ茶色の石積み農家。それを囲うようにうねる。
絵画のような風景は電車が走り続けても途切れることはなかった。
やがて現れた小さな村。その中心部には細長いとんがり帽のような教会の塔が見えた。
その魅惑的なたたずまいに、電車の速さが何とうらめしかったことか。
ほとんど緑に飲み込まれそうに石造りの家々が建ち並び、その中核にある教会を、イギリス人は「カントリーサイド一で番の美しい建物」と誉め称える。
「どんなに田舎でも、そこに教会がなければ村の魅力は半減する」と、ビクトリア・アルバート博物館の元館長も語っていた。
現在、全英に主立った村の教会は1万以上あるといわれている。
1800年代の初め、産業革命が始まる前までは、イギリス国民の80%はカントリーサイドで暮らしていた。その頃、教会は老若男女みんなが集う公の場所だった。牧師は地域のもめ事を仲裁し、時にはこどもの教育にも当たった。
そんな暮らしぶりは映画「ライアンの娘」を観ればよく分かる。アイルランドが舞台になっているものの、かつて教会は裁判所や警察、学校の代わりになっていたのだ。
パブのオーナーが自治会長とすれば、教会の牧師はさしずめ村長だろう。何より、キリスト教を全英に布教しようと躍起になった英国教会は、そこに人がいれば荒野でも遠隔地であっても、教会を建て、牧師を派遣した。
まず教会ありき。その周りに人々の家が建てられていった。教会や牧師の生活を村人の寄付が支え、村人の人生を教会が見守る。このようにして小さなコミュニティーが生まれていった。
今もイギリスの人々がイメージするカントリーサイドには、朽ち果てた教会がセットになっている。それは木々に囲まれ、石造りであって、教会裏には数百年の間に傾いた墓石が不規則に並んでいる。このような風景に強いノスタルジーを感じる。
だが、1970年頃までは田舎や田舎のコテージは今ほどの人気はなかった。長年放置され、単なるあばら屋だった小作農の家々が注目され始めたのはごく最近のことだ。
全英の村に残された古いコテージや庭を守ろうとする社会気運は、80年代に入り本格化していく。
その結果、村の暮らし、村の家は、イギリスの人々が原風景を取り戻そうとしたおかげで復活を遂げた。その中からはコッツウォルズの村々のように、日本をはじめ世界中の人々を魅了する一級の村も誕生した。
ところが、家々は息を吹き返したものの、かつて村の中心だった教会だけは置き去りにされた。建物に関わる高い補修費、人々の宗教離れなど、イギリス人の原風景である村の教会を具体的に救済する策は出ないままだ。
今、イギリスのカントリーサイドを訪ねると、多くの村の教会には鍵がかかり、その素晴らしい内側を見ることができなくなっていることに気付くだろう。
昔は開け放たれた万人が集う聖堂のドアには、あろうことか「売物件」の看板までが下がっているのだ。
(続く)
