井形慶子さんスペシャルエッセイ「私が出逢ったザ・ナショナル・トラスト」

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自然を眺める日本人 自然と過ごすイギリス人

2006年12月1日(金)

東京で生活していると、時々無性に自然にかえりたくなる。「疲れたから今度の週末、高尾山(東京都西部)にでも行くわ」と、ラジオ番組にゲストで来られた方のつぶやきを今日も聞く。羨ましいなと思いつつ、予定が詰まっている年末は身動きが取れない。そんな時は我が家の庭を思い出し、「あそこに帰ろう」とひとりごちる。

20数年来のマンション生活に終止符を打ち、イギリスのコテージ風一軒家を建ててから、はや6年が過ぎようとしている。私のように親元を離れ、上京してきた地方出身者にとって、自分の家を持つことは人生最大級の夢かもしれない。
ファーストバイヤーである30代、40代は、家を買うという人生の一大事業に取り掛かる前に必ず思い悩む。それは突き詰めるなら、マンションを買うか、一戸建てかという選択だ。後悔しない決断をするため、マイホーム購入にあたっての最優先項目をつらねる。予算、ライフスタイル、利便性、環境、など家に何を求めるか。

私の場合は、何度かの中古マンションの住み替えを経て、「今度こそ絶対一戸建て」だった。理由は明白、大地に根ざした庭が欲しかったのだ。たとえ小さな庭でもいい。実をたわわにつけた果樹の木を植え、香りのいいハーブを育てる。青々とした緑の芝生にも挑戦し、その傍らにベンチを置き、新聞を読もう。何より自分の庭で考えつくありとあらゆることをしてみたかったのだ。だからマンションではなく一軒家が欲しかったのだ。

それまで格別園芸に興味があったわけでもなく、上手に花を育てる自信もなかった。だが、ここまで庭が欲しいと思ったのは、長年通い続けたイギリスで、人々が生活の一部として庭を使いこなしている姿に共感したからだ。イングリッシュガーデンといえば日本では美しい庭の代名詞となっている。だが、イギリス人にとっての庭は、色とりどりの花をただ鑑賞するための場所ではなかった。

それは庭のつくりを見るとはっきり分かる。イギリスの住宅には前庭と裏庭という2つの庭がある。玄関周辺に広がる通りに面した前庭は、建物の正面(ファサード)と共に、通行人がその前を通る時、心を休める緑地のようなパブリックスペースなのだ。
一方、隣家との塀によって囲い込まれた裏庭は、完璧なプライベート空間となっていた。彼らはここで家族や友人と共に食事をし、語り合う。また、子どもを遊ばせ、ベンチに腰かけ本を読む。晴れた日には洗濯物を干し、作業小屋で日曜大工にもいそしむなど、家事にも役立つ。建物に続く庭をより居心地良くするため、夏の夜や週末にはせっせと芝を整え、花の苗を植えて美しい庭を造るのだ。

日本ではよほど広い庭でもない限り、誰かの家を訪問した際、庭に案内されることはまれだ。改めて考えてみると、日本の家はなぜか庭に出づらい。家の中と庭が隣接しながらも、まったくの別世界になってしまっているからだ。
私達にとって庭はあくまでもカーテン越しに眺める風景の一部であって、実際に過ごす場所にはなっていない。庭は隣家との「間」でしかないのか。

イギリスの人々の家を訪問すると、リビングに通された後、必ずといっていいほど庭に案内される。日本式にいえば長屋のようなタウンハウスの細長い庭の中でさえ、住人にはお気に入りの一角がある。
「このツルバラは私たちがこの家に越してくるずっと前から塀を覆っていた珍しい品種なんです」とか「この繁みに毎朝、ジョンと名づけた小鳥が飛んでくるのよ」など、家より庭を真剣に自慢する。
会話はよどみなく続き、そのうちビールや紅茶がキッチンから運ばれてきて、気持ちのよい風に吹かれながら室内とは違うくつろぎを感じる。

イギリスの人々にとって、自然は住まいのなかに確保されている。庭という限られたスペースの中で、木を植え、花を育て、果実が実っていく様子を心待ちにする。そこに幸福がある。

こんな価値観から生まれたナショナル・ガーデンズ・スキームは、一種のチャリティ・トラスト。1927年にエルシー・ワッグという庭好きの婦人の発案によって始められた。イギリス各地の庭の主たちが協定を結んで、一定の日数、自分の庭を一般の人々に有料で公開し、その入場料を社会福祉に寄付するというアイデアである。 今や、このプロジェクトにより全英約3500の庭が公開されている。そこに立ち寄り、イギリスの人々の庭から生まれる暮らし方を知ると、庭が単に家の飾り、外構の一部ではないと気付くだろう。
私達も庭をもっと使いこなせれば、家で過ごす時間がさらに楽しく、豊かになるはずだ。そしていつも身近なところで、途絶えることのない自然の息吹とむかいあえるだろう。

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