井形慶子さんスペシャルエッセイ >> バックナンバー
The right of way この道はどこまで続くのだろう。
2006年6月1日(水)
イギリスのカントリーサイドを旅する至福の喜びは、牧草地や通りの切れ目に突然現れる、フットパスのサインを見つけたときにわき起こる。ピクニック、ウオーキングなど、イギリス人が自然と一体化することを余暇の最上級にとらえるのは、全英にあるフットパスによるところが大きいのかもしれないと思う。
イギリスのパブリックフットパス。これはそもそも人の歩く権利を保障したもので、そこが牧草地であろうが私有地であろうが、そこに通った歩道だけはイギリス国民のものだと考えられている。
こんな話を聞いたことがある。かのマドンナがスコットランドにカントリーハウスを購入したときのことだ。その所有地には屋敷の至近距離までパブリックフットパスが通っていた。
これが問題になった。田舎でくつろぐマドンナの姿を一目見ようと、ファンやパパラッチがカメラを片手にフットパスを歩き、マドンナの屋敷の前で連日シャッターチャンスを狙ったからだ。
アメリカ生まれ、アメリカ育ちのマドンナは、米国のセレブがそうするように自分のプライバシーが無くなると怒り狂い、フットパスを寸断するよう裁判を起こした。結果、マドンナはその申し出を取り下げざるを得なかった。なぜならば「はじめに道があったのだから、その道を廃止する権利は誰にもない。人間の歩く権利『The right of way』を剥奪することは、どんな著名人といえどもできない」という判定がくだされたからだ。
フットパスの揺るがない価値観がここにある。
ある時私は、ハートフォードシャーの古い水車小屋の裏から始まるフットパスを歩いた。地元の人々からは「あのフットパスは英国一すばらしい。一度踏み込んだら引き返せなくなるからランチパックとサイダーを持って行った方がいいよ」とアドバイスされ、いったいそこにはどんな風景が広がるのかと胸をときめかせた。
B&Bのおばさんに水車小屋のフットパスを歩くと伝えると、「あそこはバイウェイ(by way)と言って人間だけじゃなくて馬に乗った人も通れる。あなたがもし自分で歩くつもりなら、途中湿地帯を通るから長靴を履いていきなさい」と言って自分の雨靴であるウェリントンブーツとレインコートを貸してくれた。
なぜ野原を歩くのに長靴や雨合羽が必要なのか。歩き始めた私は、突然目の前に咲き乱れた黄色い花の群生に目を見張り、気付かぬうちにぬかるみにはまった。長靴を履いて正解だった。それにしても、いったいフットパスが通り抜けるどこからどこまでが水車小屋の私有地で、どこからがパブリックスペースなのか。世知辛い日本人の発想では、つい考えてしまう。近くでは、旅行客らしき家族連れがピクニックシートを広げ、サンドイッチをほおばっている。父親は今ブームの数独パズルに熱中し、母親はポットからカップにティーを注ぎ、娘達は花を摘んで髪飾りを作っていた。なんと素晴らしい一日なのだろう。
さらに進むと牧草地が広がり、表示は「バイウェイ」から「パブリックフットパス」に変わっていた。おそらく適当に歩いてきたので、どこかで道の分岐を間違えたのかもしれない。そろそろお腹が空いてきたがイギリスの美しい丘陵は果てしなく続く。すれ違った人に「ここをまっすぐ歩いていくと“白い百合”という名の村に出るよ」と聞く。
遙か彼方に家並みが見えるところにさし掛かったとき、私は腰をおろし、持参したリンゴのお酒を飲んだ。ランチパックを開けると、B&Bの女主人お手製のサンドイッチが入っていた。大きな食パンをざっくり2つに切ったダイナミックなサンドイッチの中身は、昨晩のディナーの残り、ローストチキン。それに甘いクランベリーソースが塗ってあった。デザートは、青いリンゴとカドベリーのミルクチョコレートバーが2本。
美しい景色を眺めながら食べるランチ。ひとりのピクニックというのがこんなに幸せなものか、深く満足した。
結局、私はどれくらい歩いたのだろう。時計を見ると午後1時になっていた。突然、空に雲が広がったかと思うと雨が降ってきた。私は慌ててピクニックシートをたたむと、もと来た道を引き返した。イギリス人ならそのまま歩き続けるのだろうが、彼方の村まで歩いていくと、もしかしたら今日中に引き返せないかもしれないと、無念の後退だった。ピクニックとフットパスは切り離せない。ランチパックや、野に咲く花や、すれ違う人々の幸せな余暇を垣間見られるこんなひとときも、イギリスならでは愉しみなのだ。
